
2023年夏、エスティ ローダーは「You See Double Wear, I See a Story」をマニフェストに、世界各地で独自のスタイルを貫きながら様々な分野で活躍する人々のストーリーをダブルウェアとともに紹介する。
Manifesto
私たちは皆、ユニークで自由。
私たちは皆、夢や希望、そして、自信に満ちている。
私たちは皆、鏡の中に映る以上の存在。
一人ひとり違う私たちは、お互いにインスピレーションに溢れる物語を紡いでいる。
私たちらしい色で描かれる、それぞれの物語。
#mydoublewearstory
日本では、クリス-ウェブ佳子さんの物語にフィーチャー。今年で44歳を迎える佳子さん。多岐にわたって活躍する彼女だが、実は最近、心や身体に大きな変化を感じているのだそう。仕事にプライベートにと、独特のスタイルで様々なことに取り組んできた佳子さんに、彼女ならではの自分自身との向き合い方、そして自由に生きるための秘訣をたずねた。
クリス-ウェブ佳子
モデル・コラムニストとして活躍。海外生活で身につけた国際感覚と、バイヤーやPRなど幅広い職業経験で培われた独自のセンスが話題となり、2011年より人気雑誌「VERY」の専属モデルに抜擢。ストレートな物言いと広い見識で、トークショーやイベント、空間、商品プロデュースの分野でも才覚を発揮する。
“肌の触れ方を見つめることで、自分との向き合い方を知る”
ー 様々な分野でご活躍ですが、今はどんな活動をメインにされているのでしょう?
今年で44歳になりますが、「何かを始めるのに遅すぎることなんてない」と本気で思っているので、昨年末からずっとやってみたかったことを周囲に漏らし始めたところなんです。それは媒体のために広告を取るという仕事で、雑誌存続のためというのが一番の理由です。中学生の頃から雑誌、特にファッション誌が大好きで、ニューヨークに住んでいた20代前半からぼんやりと考えていたことなんです。情報のデジタル化も素晴らしいけれど、紙媒体の良さも残し続けたくて。だからこれまでの経験を活かしたうえで、具体的にどう動けるかなって真剣に模索中です。実はマネジャーにはまだ伝えていない話なんですけどね(笑)。
ー では現在は、新しい夢の準備中なんですね。
そう!と言いたいところですが、そんな矢先に大きな手術をしまして、今は修復中、充電中です。実は術後の後遺症で左顔面の感覚がなくなってしまい、ちゃんと笑えているかどうかすらも分からない状態なんです。色々思うところはありますが、誰かのせいにしたり自分のせいにしたりするのではなく、全ては自分次第だと前向きに捉えるように努めています。ただ、これを試練だと思ってしまうと「乗り越えなくちゃいけない」って時々つらくなってしまうので、人生の宿題を新たに1つもらったと思い、コツコツと取り組んでいます。この宿題、どうやって仕上げようかなって。そうすると仕事も、できるできないを内容で判断するのではなく、やり方を工夫しようって考えられるんです。どんな風に向き合おうかなって。同じくして、生き方もあれこれ工夫すれば良いんだって。ここ数ヶ月は、毎日がそんな積み重ねです。
ー 体に大きな変化があると、心にも変化が起きそうですね。
そうですね。一見では分からないけれど、手術の影響で目が複視になってしまいピントが永遠に合いません。入院中、私自身のスキンケアについてのコラムを執筆していたのですが、不具合が起きてしまった自分と向き合いながらの作業は、まるで身を削るようで本当につらかったです。でも振り返ってみると、あのときの私を記録しておいて良かったなって。すでにもう今、病室での苦しく長過ぎた時間は“人生の一瞬”だったと感じるからです。だからどんなにつらい時間も、いつかは人生の一瞬になるんだなって。失うものあれば、得るものあり。総じて素敵なことを学べる経験になりました。
ー 今、どんな風にご自身の体や心と向き合われているのでしょう?
入院中、肌のコンディションや肌感覚の有無に関わらず、自分に触れることの大切さを再確認することができたので、心身ともに向き合い方が以前よりも優しくなりました。病室にはエスティ ローダーの美容液を含め、最高峰のスキンケアアイテムを持ち込んでいたので、術後のスキンケアは本当に癒しの時間でした。ビックリしたのが、左顔の感覚がないせいなのか右顔がすごく繊細になっていたこと。たとえば、いつも通りの指の動かし方がとても雑に感じたり。本格的なスキンケアを始めて約10年になりますが、自分に触れるという癒しの行為が時の経過とともに鈍感に、乱雑になっていたんだと気づくことができました。
ー 肌の触れ方を通じて、自分自身への接し方も見直したということでしょうか。
そうですね。実は顔に触れられるようになるまですごく時間がかかったんです。とにかく怖くて。術後初めてのシャワーでは泣きじゃくるように大泣きしたんですが、でも「あ、感情が戻ってきた」なんて突然冷静に自分を観察できたり。肌も私自身もきちんと大切にしてあげなくちゃって反省したり。とにかくマイナスの経験として心に抱え込むよりも、私自身が成長するためにもプラスの経験へと変換したいので、今の私も、私の弱さも記録しながら、色々な形で伝えていきたいです。たったひとりでも、誰かのためになれるかもしれないし。
ー大変な状況のなか、どんな体験をもご自身の糧にできる前向きさはどこから来るのでしょうか。
もちろん思うようにことが運ばなくて、落ち込んだり苦しいときもあります。でも人生で初めての積極的な“自分休暇”を取っていると思うと、焦りもなくて。私を一番大切に扱えるのは私。そんな当たり前のことに気づけたりね、良いこともあるんです。

“弱くたっていい、甘え上手も才能のひとつ”
ー 前を向くまでに、ちょっとしんどいな、疲れたなと感じることもありますか?
あります、あります。以前は色々と溜め込んでしまい、思い悩みながらひとりで解決していたところを、今は最大限に甘えるようにしています。“甘え上手”って才能のひとつだと思うんですよね。ドリフターズのいかりや長介さんが大好きなんですけど、「人間は強くなる必要はないんだよ。強くなると人間っていうのは鈍くなるから。鈍くなると自分にも他人にも鈍くなってしまう。だから弱いままでいいんだよ」というような言葉を残されていて。まさに今、いかりやさんの言葉を実践中です。
離婚調停期は特に強くいなきゃと、強くなりすぎていました。悲しいはずなのに泣けなかったり、感情がスーパーフラットでした。ある夜、娘たちと一緒にテレビ番組を観ていたら、私が笑うと次女が「ママってそんな笑い方するんだ」って言うんです。「確かに最近笑ってなかったな」って気づかされました。年齢を重ねると思うように動けなかったり、気弱になったりするじゃないですか。以前はそんな自然の摂理に逆らっていましたが、今は「弱くたって良いじゃない、誰かに頼ったって良いじゃない」と、自分の弱さを素直に受け止められるようになりました。
ー 降りかかる状況に縛られずに、ご自身を大切にされているんだなと感じます。
周りの大切な人が困難な状況に陥ったとき、誰もがきっと「そんなに強くなくたって良いんだよ、そんなに頑張らなくたって良いんだよ」って、優しい言葉をかけてると思うんです。その優しい言葉を自分にもかけてあげる。すごくシンプルなことだから、誰もが必ずできることなんですよ。自分を大切にすること、頑張りすぎないでいることって。
“自由や幸せは、人と一緒に手にするもの”
ー ダブルウェアキャンペーンでの佳子さんのキャッチコピーが“Free Spirit (自由な精神)”ですが、本当にぴったりのフレーズですね。
ですね。ただ、自由でいるための制限はもちろんありますよ。「自分で責任を全うできる範囲、その制限あってこその自由だからね」です。これは幼い頃から父が私にずっと言い聞かせてきたことなんです。ありがたいことに、最近は大切な人たちからの絶え間ない愛情や手助け、思いやりや元気をいただきながら、自由に生きることを許してもらっているとも感じています。

ー 佳子さんにとって、“自由”とは何ですか?
私にとって自由とは、“自分に与えられた特権を誰かのために使えること”です。たとえば、書く仕事やラジオで話す仕事。そういった仕事をさせていただいてるなかで、たったひとりでも私の伝えることで心やすらぐ人がいたら、私の自由は最大限に生きているんです。
ー 自由は、自分のためだけのものじゃないんですね。
人は、ひとりだけでは生きていけないじゃないですか。大切な誰かがいたり、幸せにしたい人がいるからこそ、感じられる喜びってたくさんあると思うんです。周りの大切な人たちのおかげで、私がそうであるように。
ー 自分が心地いい状態で、年齢を重ねていくための秘訣などはありますか?
私の周りにはね、素敵な年上の女性が多いんです。そんな彼女たちに共通して言えるのが、“今”という時間をとても健やかに生きているということ。幸せのベクトルって人によって違うから、幸せそうかどうかよりも、心が健やかかどうかがキーワードなんです。目標にしているのは、健やかなマインドで生きている人たち。94歳の祖母もそうなんですが、心の健やかさにフォーカスすると、歳を重ねることも楽しみのひとつになるし、たとえば50歳のときの暮らし方や生き方にも具体的なイメージを持てるようになるんです。

ー 最後に、自由に生きたいと願うすべての人にメッセージがあればぜひ お願いします。
誰かに憧れたり、スタンダードと言われる美しさを求めたり、社会の基準に自分を合わせるのではなく、自分らしさを見つけることに夢中になりましょう。そう、伝えたいです。そう簡単な作業ではないけれど。でも、“私”という絶対的な基準を見つられたら、その先にはより健やかな人生が待っているからって。